のんびりと自然観察

雑記

小さな芽を眺めて思うこと

今年もまた春がやってきた。

地面の土が見えるほどの低い丈の草を、座り込んで眺める。

信号待ちの間に、しゃがみ込んで草を眺める事もよくある。

座ったら、小さな小さなよもぎや名も知らない雑草が、ミニマムサイズで生えているのを見ることができる。

中には1センチにも及ばないのではというようなサイズ感もある。

その小ささが、何だか愛くるしいというか、可愛い存在だと感じる。

寒い地面から伸びてきた小さな芽は、冬の間どんな姿でいたのだろう。

歩いていたら目に留まらないこの小さな芽は、毎日どれくらい大きくなっているのだろう。

種があるとしたら、それはこの芽よりもっと小さいのだろうか。

肉眼で見れる大きさなのだろうか。

そんな事を考えながら眺める時間が好きだ。

 

春の気配を感じるもの

休みの日に出掛け、そこかしこに春を感じてきた。

まだ柔らかい色合いの青空。

薄いベージュのような色になった芝生の隙間から緑の葉っぱ達が伸び始めていた。

前ならえで並んでいるビオラ

花壇の花は手入れがされていて、整列して花を咲かせていた。

日光浴するデイジー

太陽の光と温かさを、お風呂につかるかのように「あー。いーわー。」って思っていそうなデイジー。

イチョウや木の意気込み

イチョウや紫陽花の木は、新しい芽をつけ、光合成の本気シーズンに入る意気込みを醸し出す出で立ちだった。

つくしの竹林風

つくしがニョッキニョッキと沢山並んでいた。

まっすぐ上に向って長く伸びる姿が竹のよう。

スギナの近くに片寄って生えているから、てっきりオッスーメッスーみたいな間柄なのかと思った。

どうやら胞子を飛ばす系の子で、シダの仲間だったのだと知った。

はるか昔、胞子の一生だかシダの一生だかのサイクルをノートに描き、何度も何度も頭に叩きこんだ。

はず…な…の…に…。

今の私にはもう、ぼやけたイメージしか思い出せません。

タンポポの勢力

タンポポを見かける度についついしゃがんで確認してしまいます。

未だ純日本のタンポポには出会えない。

もう絶滅したのか、しそうなのかは分からない。

でも、どこかに人知れずひっそりと残っていたら良いなと。

遭遇出来る日を少しだけ夢見ています。

真っ赤な果物界のアイドル

「絶対危ない毒キノコが生えてる!」と思ったら、ちょっと萎れたいちごが落ちていただけでした。

収穫して落としたのか。

はたまた鳥がついばみ落としたのかはわかりません。

関連して、昔を思い出す。

何でか分からない場所に自生していた苺を、巡って見つけるのが楽しかったなと。

畑からハウス周りを探し、コンクリの合間や、水場の近くを巡るはしご苺。

まだ宿題も無かった頃の事で懐かしいです。

もはや鉄板の青空と桜

そして、春といえばお馴染みの桜。

目に入る景色の中に、日に日に桜の割合が多くなるのを眺めるのも生命が感じられて良い。

イエローズ

菜の花や水仙も、鮮やかな黄色で綺麗だった。

花の名前を覚え始めている(気がする)

花や植物に興味や関心が無かったであろう人が、年々花の名前を覚え始めている気がする。

小学生ならお馴染みの朝顔ですらどんな花か分かっていない風だった。

メジャーどころの名前を挙げてみても、ことごとく「何それ?どんな花?」という反応。通じなさに軽くカルチャーショックを受けた気がした。

でも何故かブタクサは認識していた気がする。

私の中のメジャー所と認識差がある事が面白いと思った。

そこら中で目にし、幼稚園や小学生で飾りや図画工作の題材に選ばれていそうなあじさい。

通じなかったのにマニアックなものなら分かるという。

そんなところが面白い。

関心が無くて気にしてこなかったため、そのジャンルにおいて細胞の繋がりが強固では無いということなのだろう。

でも多分、漢字にしたら読める気がする。

イメージと結びつかないだけで、読み方や存在を全く知らないわけではないと思う。

蒲公英、椿、鳳仙花とかは植物と認識しスラスラ読む気がする。

サルビアはちびっこだった頃に好奇心で吸ってそう。

薔薇はスラスラ書けそうな気がする。

むしろ書くための練習を嬉しげにした事がある気がする。

他のどんな漢字よりやや熱意を持って。

この偏見でしかないイメージの理由は…割愛しようと思う。

瞬間的に薔薇をバックに見事なポーズを作り込めるポテンシャルの高さと潔さを思い出す。

キレのある表情筋の活躍を見た瞬間、私は能力値の差に完全敗北を感じた。

見事過ぎて忘れられない。

照れたら負けである。

恥や躊躇いが一瞬でも出たら負けである。

そう気合いを込めて臨んだのに、最後の最後で恥ずかしさが過ってニヤつきを抑えられなかった。

中途半端だった事がちょっとだけ悔やまれる。

そんなチャレンジと勝負だった。

何かのアップ

険しい山々みたいだと思い、思わず撮影。

Q.これの正体は?

A.切り株です。

 

セルロースの間の水分が無くなったのか、年輪はこんなふうになっていくのかと眺めていて新鮮でした。

ミルフィーユ状に、似た厚みが層になってる様子がちょっとキレイで何だか良い。

尖った部分が無くなり、端に丸みがある事も何だか良い。

良いと思う点が共感されにくいかもしれないけれど。

観察したくなる切り株でした。

雑記

Posted by ichi