ピンクムーン

良い天気の終わりに
空をふと見上げたら、丸くキレイな月がのぼっていた。
「満月かな?」と思ったけれど、どうやらピンクムーンは明日の夜らしい。
満月ではなかったけど、薄雲にぼんやりとした明かりが映り込み、眺めているとスッと心が落ち着いた気がした。
せっかくなので、パシャリ。
月を撮ったらいつも思うけれど、肉眼で見る透明感のようなものが無くなってしまう事が少し残念だ。
以前に揺れる枝の動きや遠くに見える山々を美しいと感じて写真を撮ったことがある。
その時にも私は思った。
実際に目でおさめるものと画像がこんなにも違うものなのかと。
だから私は、自分の目で見られることが嬉しい。
だからといって、写真がダメだというわけではない。
カメラマンさんが神経を研ぎ澄まして撮影した写真には、思わず惹き込まれる良さがある。
動かない瞬間だからこそじっくりと長く眺められ、美しさを堪能したり、とらえた被写体からいろんな事を想像したり、考えを巡らせる事が存分にできるからだ。
刻々と動く様を五感で感じる時間も心地よい。
誰かがとらえた何かから、感じとり受けとり考える時間があることも、私は嬉しいと感じる。
ただ、同じ見るでも画面越しは気を付けないとなと思う。
とにかく乾き、若干痛い。
ピント調節がどうなっているのか分からない点も少し不安を感じる。
焦点の距離を自由に変え、立体を知覚している時の目と脳の働き。
画面越しに立体感に似せながらの平面という実態を処理する目と脳。
そんなに違わないのだろうか。
何にでも言えるけど、過ぎても足りなくても害や不都合は生じやすい。
時間をバラけさせて使わないとなと思う。
道をいっぱい間違えた
比喩ではなく、現実の話で。
今日は3回同じ所を通って、ことごとく曲がりそびれ、遠回りをした。
渋滞している中を運転すると、単純に見ることや気をつける量が多くて疲れやすいように思う。
車線変更も苦手で、「あぁぁ…あぁぁ…仕方ない。私には無理だ。」とすぐ諦めがちなのはいつものこと。
ぐるぐると遠回りをしまくり、今日は長い距離を運転したと思う。
決して迷子ではない。
私が道に迷いやすいのは鈍さと自信が持てない事が大きく関わっている。
五叉路や斜めが続かない限り方角はだいたい把握できているし、地図も見れる。
多分速度が速く量が多いほど判断が鈍るのだと思う。
旅客系の運転手さんには向かないだろう。
知らない地に遠出する時があれば公共機関を使おう。
無事に辿り着ける気が、微塵もしない。