工事中

基礎が大事
次は基礎づくりにいこう!
ということで、基礎(土台)工事中を作ることにしました。
水平を測る機械とか、紐を引っ張ったりとかしてみたいです。
工事中を見ると、何をしているんだろうとついつい目が止まってしまいます。
屋根瓦の工事をしているのを見ながら、高所恐怖症だから私には登れないな。でも、何かカッコいいなとか。
左官職人とかカッコいいなとか。
以前に憧れるという話をしてた時に、現実的な厳しさを聞きました。
「あぁこれは、憧れ止まりの夢にもならない道。虚弱体質で筋力もない腰痛持ちには難しい職業だ。」と知りました。
その後、運良く機会があって、一度だけ壁塗りを体験させてもらいました。
想像より難しく、でも面白く、経験できて良かったです。
興味・関心はあれどハードルが高い職業が私にはいくつかあります。
現実的には不可能に近く限りなく難しいので、3Dで風景を作りながら妄想を膨らませてみる趣向です。
工事中の文字は手書きしました。
フォントオブジェクトを使ってみようと思ったところ、英字の小文字しか反映されず・・・。
「keep out」で一回入れてみたのですがしっくりこず・・・。
画像で作ってしまえば良いんですが、手書きだとDIY中っぽい気がしたので、敢えての手書きです。
もう、この並んだ状態にワクワクしてきますね。
ホームセンターの機材コーナーに立ち入った時のような楽しい感じ。
新しいこと尽くしで積み上げ、少しずつ完成していくんだろうと考えると楽しそうでたまりません。
モノづくりの源泉
私のこの関心の源泉は、小さい頃の思い出に由来しているのだと思います。
柱を作って壁ができ、部屋ができていく様子を見に行くのが楽しかったこと。
父がカンナの刃を調整し、木を削っている姿を何をするのかなと興味深く眺めていたこと。
増築で祖父の秘密基地が出来上がり、そこに押しかけては本を引っ張り出したり、欄間を眺めたり、質問攻めにしたりして楽しかったこと。
父がいろいろな物を作り出す様子に、何でも知っていて凄いなと尊敬した想いも持っていたのだと思います。
大きくなってからは「なんと頑固で融通のきかない人だ」と反発心や苦手意識で見えなくなっていた期間もありましたが。
いろいろ振り返るうちに、そんな出来事だけでは無かったこと、父なりの想いもあったこと、精一杯だったであろうこと、父の中にあるいろいろなものが見えた気がして長い長い反抗期がようやく数年前に終わった気がします。
すっかり孫に甘くなりデレついてる様子を見て、人って年月でこうも変わるのだなと面白い限りです。
母が着物を縫っていたり、細々とした物を作ったり、工夫する姿も印象に残っていて大いに影響を受けている気がします。
物を作るのが楽しいと感じるのはその辺から来ているのだろうなとしみじみ思います。
あー、うずうずするー。
でも、「小屋作ってその後どうするの問題」が解決できない。
難しい問題が山積みなので絶対に手は出しません。
これは「たこ焼き機欲しいな」➡「年間でたこ焼き機の出番があまりないことに気付く」と同じ現象で、憧れの眼差しで見ているだけのものだと分類しています。
「有り余る時間や機会があればやりたい。でも、現実的には難しい。」と感じるものは多々あります。
ただ、何もできないと制限をかけて閉ざしてしまうことも勿体ない生き方だと考えています。
限られた時間と可能な範囲という中でも、視野を広げられた・経験が出来て良かった・色どりある人生だったと納得感を持てる選択をしていきたいなと思います。
Blender、楽しいです。
粘土をこねてるみたいで楽しい。
いろいろなジャンルの本を開きにいってるようで面白い。
一点悲しいところを挙げるとするなら・・・身近に使ってる人や関心がある人がいなくてまぁまぁなぼっち感と「何ぞそれ」な温度差があるところぐらいです。
「知ってる・使ってみたい」という子もいるけれど、勉強が蔑ろになったら親の意に反する可能性はあるかなと思い、積極的には勧めないようにしています。
業界標準で使われてるツールが何かも知らないし、進路に影響しても困る。
ただ、ゲームで無為に遊んでダラダラするぐらいなら短時間でも良いから自分の進みたい方の知見を広げる時間をプライベート時間に少しでも持てと本当は言いたい。
でもそれ以上に、新しく知るって本来は楽しいことで、強いられた環境や競争、期限なんかの苦しいものがあるから見えなくなりがちだけど、学ぶって純粋に面白いものなんだ・楽しいことなんだと感じてほしい。
私から見て20年30年若いというその年齢的な有利さを、難しいかもしれないけど気付いてほしい。
40で始めても熱狂的に楽しめる趣味としての関わりがMAXだろうと個人的に思っています。
それでも私は充分なのですが。
若かったらもっと濃く楽しめるんじゃないかなと思うと、何だかもったいない。
普段の勉強のウエイトが重いかもしれないけど、ほんのちょっとでも良いからどんな時間の使い方をしたら先々の自身にとって良いかを考えてほしい。
後悔するなも難しいけど、私のように取り戻せない大きなロスを作って、後悔や大変な思いはしてほしくない。
後悔…なのかな?
私のことだから、誰が何を言おうが変わらず同じ結果を生み、同じような悩みにぶつかり、足を止める期間は必然で起こったことだと思う。
理解することにチャレンジし、留まり、考え方を変えながら解決の道を模索することに10年余りの歳月を使ってきたことも、私が選んだこと。
最終的に相容れない・現状を許容出来ない・我慢の限界にはなったけれど、後悔はしていない。
長く続かない関係に時間を使ったのは相手も同じだし。
みんなお利口さんだから、私なんぞに言われるまでもなく上手に生きていけているのだろうと考えています。
せっかくの限られた時間、それぞれ大切にしていってほしい。
なんか段々老婆心が芽生える中年真っ盛りです。
まだまだいくじぇー!