つれづれなるままに

コーヒーの影響力
「規則正しい生活をし、筋肉をつける」という目標のもと、しばらく大人しく過ごしていました。
今日も昼間にお散歩をし、夜には「マッチョマッチョ」と頭で唱えながら筋トレで追い込みました。
「もの凄く短い時間でもいいから、筋肉に負荷をかけるようにする。」とお正月に思い立ってから5カ月が経ちました。
「筋トレ仲間無しでも継続できている自分、偉いじゃないか」と小さな達成感を感じつつ、身体は充分疲れさせたはずなのですが…。
寝れません。
コーヒーを飲むと寝つけなくなる。
貧血気味にもなる。
分かっていながら「たまにはいいか」と飲んで、案の定寝付けなくなってるわけです。
恐るべしコーヒーの威力。
だけど、今日飲んだおかげで今度からは自分の好みの味を言えそうです。
コーヒーの注文時には「酸味と苦味はどんなバランスが好みなのか」を考える場面があると思います。
これまでは分からなくても追及せず、何となく選んではそのまま忘れていくばかりでした。
今日初めて、短時間で2種類を飲み比べてみたことでやっと分かりました。
どっちかというと苦めが好みです。
新しい発見となったことで、なんだか特別な日になった気がします。
爽やかな風に心地よくなりながら、のんびりと飲んだコーヒーは癒されました。
罪悪感の存在を感じた日
悪い癖で、夜にだらだらと負のループに陥っていました。
だいぶ長く時間が経ってしまったし、顔を見に行きたい。
でも、コンタクトを取ろうとすると途端に重くなり止めてしまう。
というモヤモヤに執着して。
少しでも助けになりたい。
でも、自分にはなれる力が無い。
好ましく思わないかもしれないと思うと怖くなったり。
本来はこまめに力にならなきゃいけない立場のはずなのに、今日も顔も名前も知らない誰かの善意に頼ってしまっているという現実。
有難うございますとごめんなさいがいつも同時発生している。
葛藤が生じ、情けなさを感じ、無力感を感じ、罪悪感が覗き、焦りやモヤモヤで若干落ち込んでいく。
いったい何回動けないことを繰り返しただろうと、自分のこれまでに目がいくと、余計に落ちる負のループ。
そんな心境を言葉にすると「どうしてお前はいつも辛気臭いのだ。」というようなことを聞くことになるのだろう。
頑張ろうとしている当事者の前で、モチベーションを下げるようなギャップを生じさせることは言えない。
ならいっそ、気配を消していた方がよっぽど助かるんじゃないか。
なんてのが最善のように思えたり…。
そんな時、とあるコラムが目に止まった。
年齢や関係性による面、突発的に起きた事による心の変化と経過という点で考えれば…。
いろいろ重なる部分があって、誰にでも起きうることなのかもしれないと思えた。
頭と感情が別方向へ向き、自責の念は自覚し、上手く言葉にできないまま同じように足が遠のくことは珍しくないのだろう。
行きたい気持ちはある。
なのに、足を止める強いベクトルが内部から働く。
非常時を越える事に気を張っている自覚はあって、心を置き去りにしないように出来る限り言葉にし、気を付けていたつもりなのに。
消化できていると思っていたのは勘違いだったのかもしれない。
「目にするのが辛い」という言葉を見た瞬間、初めて目の当たりにした時の景色が脳内を流れた。
冷静であることを言い聞かせた時に起きていただろう感情の波。
その残りが再来したのかもしれない。
ドライアイな目からストレス反応が溢れて、「あぁ、まだ残っていたのかもしれない」と思った。
強くなくていい。
未だかさぶたになっていなくてもいい。
言葉にしないようにしたものがまだあるもんな。
なら、これが最後でなくてもいい。
こんなことが何回あっても許そう。
必要なだけ浮かびあがって来い。
1人の時に抗う必要なんてない。
どんとこい。
私はきっと大丈夫だ。
いつか、受け止めきって動じなくなる日が来る。
きっと来る。
って、言い聞かせていたら力みが抜けてきた。
緩急も必要。
今日も時間になったら筋トレしよう。
